石橋の手帖

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2022年11月4日(金)

    『私が住宅屋になったワケ』

    私が生まれ育ったのは、東京の下町人形町。
    実家は、大通りに面した小さな小さな家というよりも商店。
    こう見えても元江戸っ子です。
     
    私が幼少のころは、おじいさんが八百屋をやっていました。
    神田の蕎麦屋にネギをよく配達に行ったものです。
    父の代になり、パン屋を生業に。特に手作りのサンドウィッチをメインとする店でした。店は繁盛し、大家族を養ってくれました。
    敷地は10坪もない小さな小さな家。そこに最大8人が住んでいました。
    自分のスペースなどなく、家族みんながちゃぶ台を囲み、食事も団らんも。
    寝る際には、押し入れから布団を出し、ちゃぶ台をしまい、川どころか、何本もの小川が流れていました。
     
    有難かったのは、商人の子として育ったせいか、「商い」というものは、楽ではないことを身に染みて体感したことでしょう。
    親の苦労を目の前で見てきましたからね。だからタフなのかもしれません。
     
    そんな私の家に、友人が遊びに来ることはほぼ不可能。
    玄関なんてものはなく、店が玄関であり、シャッターが玄関ドアでした。鍵なんてなし。
    友達が遊びに来ると、2階から返事をし、狭い階段を走り下りて、店から飛び出し、仲間の元へ。当然に店には、父か母がいる。今でいうリビング階段かな(笑)。
     
    いつの頃からか、玄関のある家にあこがれを抱いていました。
    就職活動を始めた際に、自分の好きなことを職業にしようと思い、鉄道や飛行機などの関連会社を志望し、採用試験も受けていました。その中に、玄関のある家に住みたいな~。などという想いで、住宅会社にも興味を持ち始め、ご縁があり、富山の地場のメーカーに就職することに。
    ある種、この部分が私の原点です。
     
    結婚をし、郡上の家に行った際に、縁側やデッキ、テラス??といった空間でバーべーキューをしたり、夕涼みをしたり、こんな今までしたことのない経験をし、物凄く心地よく、質の高い暮らしを感じ、最高の幸せに思ったものです。
     
    当時は、地場メーカーにいましたので、家づくりに関わっていたものの、売っているモノは「箱」。そこに違和感を感じ、「箱」ではなく、「暮らし」こそ我々が売るべきものであることを悟った瞬間です。
     
    「家」をつくるのではなく、「暮らし」をつくる。
    玄関のある家。
    この二つが私の原点。
     
    あの時感じた「心地よさ」を多くの人に届けたい。そんな想いです。
    家って、建物だけでなく、その周辺環境も含め、外との繋がりが大事です。私が感じた「心地よさ」や「質の高い暮らし」は、家の中よりも、むしろ外の方で感じたように。

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