鷲見製材は、ふるさと 郡上の森を守り続けます。

ひだまりほーむという名前で住宅事業を始めたのは平成11年(1999年)。
まだまだ若い事業部です。しかし、鷲見製材の歴史は80年を超えます。
鷲見製材は、その時代に必要とされる製品を地域の木でつくり、
地域に活力をもたらしてきました。取り扱うものが時代と共にかわってゆき、
住宅を扱う「ひだまりほーむ」になっても、郡上の森を大切に想う心はずっと変わりません。

History2. 郡上の森を守るために

地域のために、今一番必要なことをやる

地域の疲弊――その頃、隆夫は「地域の疲弊」が気になって仕方ありませんでした。その地域に生まれ育って、自分たちの手でまたその地域を担っていく、それが隆夫にとっては当たり前でした。ところが時代が変わり、人々は都会に流れ、地域に活力がなくなっていきます。隆夫は、誰かが何かしてくれるのを待っていられなくなりました。

「自分でやるしかない!」隆夫がそう決意するまでに時間はかかりませんでした。昭和58年(1983年)、町議会議員選挙に起ちました。当時34歳でした。

町議会議員は3期12年務め、まちづくりのために奔走しました。隆夫が問い続けたのは、「今、地域に何が必要か」です。たった今、皆が直面している問題から目をそらすことなく、なんとか解決しようと起ち上がるのが隆夫という人間でした。

当時の写真

一般建築用材から社寺建築用材へキーワードは「木」

初めて議員になった同じ年、隆夫は父から鷲見製材を引き継ぎました。三代目社長・鷲見隆夫の誕生です。

隆夫は、社長になると社寺仏閣向けの製材を手掛けるようになりました。それまでの鷲見製材はというと、近所の大工の希望に合わせて、住宅などに使われる一般建築用材を挽いていました。周囲にある多くの製材所がそうしていました。しかし、隆夫は「皆がやらないことがしたい」と常々思っていました。幸い、身近に木曽檜という良材があります。隆夫は、周りの製材所がやらない社寺仏閣向けの製材をやろうと考えました。

社寺仏閣向けに、おもに木曽檜と欅(けやき)を挽きました。社寺仏閣建築で定評のある大手建設会社との取引が始まりました。業績は順調に伸び、鷲見製材は、まもなく社寺仏閣建築用材に特化しました。その後、この分野位において全戸に名をはせるまでに成長しました。

「キーワードは木です」と隆夫は言う。「時代が変われば求められるものが変わるのは当たり前です。だから、業態は変わってもいい。木を活かすのが私たちの務めです」それが、三代目・隆夫の事業観です。

その時代に必要とされる製品を地域の木でつくり、地域に活力をもたらす。そのために、鷲見製材は在ります。取り扱うものが一般建築用材から社寺建築用材に変わっても、さらに住宅会社になっていっても、地域と木を想う気持ちに変わりはありません。鷲見製材が守り続けたいもの、それは森と地域です。

母なる白鳥町を想って「MOTHER LAND PLAN」

「なんとかして、白鳥町全体を活性化させたい」そんな想いがさらに強くなった隆夫は、木に携わる町の人たちと共に、平成7年(1995年)、”白鳥マザーランドプラン”を作成しました。”MOTHER LAND”、すなわち、母なる白鳥町の将来を自分たちの手で担おうという、白鳥町活性化10ヶ年計画です。

白鳥は、林業と農業、観光のまちです。白鳥の3つの資源をつないで、都会に住む人たちの深刻な現状を少しでも解決しようというのが、隆夫の狙いでした。白鳥に農園付の貸別荘・住宅をつくり、都会の人たちの心を癒す美しい景観を整備する。地域材住宅の普及のために、ミュージアムをつくる。大工や林業専門家を育成する。白鳥町の住民に都会の人たちの「白鳥の親戚」になってもらい、農村で暮らす知恵を伝えてもらう。マザーランドプランに白鳥町の将来の夢を乗せました。

このマザーランドプランの構想はあまりにも大きく、今のところまだ実現していません。
しかしその大きな夢を糧として、製材工場の見学やNOVUファームでの農業体験など、一歩一歩、実現に向けて歩みを進めています。

MOTHER LAND PLAN