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お役立ちコラム&ブログ

『3.11』

  • 社長ブログ

あの瞬間から14年だそうです。
自分自身の備忘録として、書き記す。

14年前の今頃はそんな大惨事が起こるなんて夢にも思っていなかっただろう。
14年という月日は長い。
自分の中で、遠い過去になりつつあることに、違和感と恐怖を感じる。

当時、あんなに悲しみ、驚き、恐怖を覚えた。のにである。。。
人間の記憶装置は本当に脆い。
当時、北野武さんが発したとされる言葉が今なお、胸に突き刺さる。
『2万人が死んだ一つの事件ではなく、1人が死んだ事件が2万件あった。北野武』
そう、2万人近くの尊い命が失われた。
これを一つの事件として扱ってはいけない。当時、僕はこの言葉にハッとさせられた。
確かに、東日本大震災という一つの出来事として捉えていたんであろう。

また、自然の恐ろしさと同時に、原発という人工物の恐ろしさ。
人間は、自然を克服しよう、自然に勝とう、と懸命になり、色々な技術を発明した。
しかし、そのほとんどが、無残にも呆気なく壊され、何もなくなった。
驚くことに、翌年にはそこに「花」が咲き、「草木」が育っている。
その花や草木に多くの人が勇気づけられたという。

人は自然と戦うべきではなく、その中に生かされているということを、今一度学ぶべきであろう。
自然と調和し、自然と共存し、一緒になって「進歩発展」をするべきである。
それでも、人は自然と戦おうとし、破壊しようとする。
人とは、学習せず、懲りない動物である。

僕の仕事は住宅屋。
ある意味、その自然と戦うためのツールなのかもしれない。
寒ければ、暖房をつけ、暑ければエアコンを必要以上に稼働にする。
エネルギーを使いまくる。。。
僕が住宅屋として出来ることは、自然との調和を持った暮らし方を提案し、その箱であるツールを整備すること。
寒くても、エネルギーを最小限にする断熱性や、暑ければ、自然の風を取り入れる窓の配置計画。太陽の光も、屋根でコントロールし、最大限に活用をする。
庭には木を植え、日陰や空気の温度を下げることも大切。
しかしながら、これって、古くから大切にしてきた「住まいの作法」である。

結局は、原点に回帰し、温故知新をもって、現代にアジャストさせることなのだろう。
また、大きな地震に耐えうる構造躯体をつくり、長きにわたり、壁の中で結露を起こさず、柱や土台を腐らせない事。

こういった思いは、僕自身の住宅屋としての原点でもある。
写真は、震災後に勇気を出して伺った岩手での夕方の海。
とてもきれいな、穏やかな海でした。
発災前も同じようにきれいな海だったんだろう。

僕には、この海が荒れ狂う姿は想像できなかった。