石橋の手帖

2022年7月21日(木)

    『遠慮と配慮』

    人とコミュニケーションを取るときに、
    いつも考えているのが「遠慮」と「配慮」。
    「遠慮はするな。が、配慮はしろ。」
     
    得てして過剰な遠慮は弊害をもたらすことが多い。
    この際の過剰な遠慮は恐れや
    逃避から来ることが多いように思う。
    一歩下がってしまうなど。
    しかし、その遠慮が災いを呼び、
    対応が遅れるなんてことは、嫌というほど経験をした。
    だから僕は、出来る限り遠慮をせずにいようと
    心掛けている。
    しかし、この場良いの「遠慮」はそもそも意味を
    間違えている。
    本来、遠慮という言葉は「控え目にふるまう」
    ことにある。
    謙虚さが重要であるように思う。
     
    一方で、ズカズカと土足で入り込むようなことをしては
    失礼にあたると思っている。
    その為、配慮をいつも気にしている。
    相手に心を配り、どう伝えるべきか、どう話すべきか、
    どう行動すべきかにいつも細心の注意をしているつもり。
     
    今の時代は、
    この配慮が欠けていることが多いように思う。
    自分の感情をそのまま言葉や文章に出してみたり、
    ベクトルが自分に向かっている為、
    自己都合の一方通行になってみたり。
    聞いていて、見ていて、読んでいて、
    気持ちの良くないコトが多々ある。
     
    遠慮は不要。
    配慮は必要。
     
    いつも、そんな心持でいたい。

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