石橋の手帖

  1. ひだまりほーむトップページ
  2. 石橋の手帖
  3. 『無理はしても、無茶はするな』

2021年2月4日(木)

    『無理はしても、無茶はするな』

    若い時は、無理をするべき。
    ある程度、自分に負荷をかけた方が良い。
    その無理は、将来に必ず活きる。
    ある程度、年を重ねると無理も利かなくなる・・・。
     
    しかし、「無理をさせられない」という世の中に疑問を感じることが多々ある。
    みんなが、おっかなびっくりになり、無理をさせようものならば、総叩きにすらなりえる、恐ろしくて無理をさせられない。
    結果的に、無理の利かない若者が育っていく。
    この結果は、あと数年もしたらハッキリすることと思う。
    一度は無理をした人たちが、踏ん張り、世の中で活躍をしていくことと思う。
     
    一方で、無茶をしてはいけない。
    無茶をさせてもいけない。
    無茶の果ては「破壊」にしかならない。
    身も心も壊れていく。
     
    だから、本当は無茶を責めるべきで、無理を責めるべきではない。
    むしろ、無理を称えるべきではないのか。
    ちなみに、うちの会社は信念をもって無理をさせています(笑)。
     
    実は、この考え方は、母校(東京都立九段高校)の剣道部の伝統的な教え。高校時代に先輩より教わりました。
    「無理はしても、無茶はするな」
    その時は、何が違うのかよく分からなかった。
    無理でも、無茶でも、どっちでもいい。
    いずれにしてもきつかったし、とても可愛がってもらいました(笑)
     
    今思うと、先輩たちは僕たちに無茶をさせなかった。
    限界をしっかりと見て、限界の寸前まで徹底的に無理をさせてくれた。
    あるいは、僕の好きなだけ無理をさせてくれた。
     
    そのおかげで、自分の限界値を知った。
    これ以上は危険というライン。
    このラインを知らないと、本当の意味で痛い思いをする。
    その時の無理が、今に活きている。
    相当厳しかったが、それに比べれば今の厳しさなんて大したことではない。
    そう考えられる。
     
    もしも、高校時代の部活で、甘やかされ、無理をせずに、限界を知らなかったら、
    今の僕はないのかもしれない。
     
    あれから30年が経ち、つくづくと「あの時代のお陰」と思っている。
    しかし、もう一度、あの稽古をしようとは微塵にも思わないところが、本当にきつかったという思いなのであろう。
     
    今の若い人たちに言いたいのは、
    無理をしろ。ということ。
    しかし、
    無茶は絶対にダメ。
    「無理をしても、無茶はするな」と言いたい
     
    残念ながら、若い人の中には、限界を知らない人も多いと思う。
    だから、周りんの大人たちが、遠巻きで見守り、ボクシングのレフリーのごとく、STOPをかけてあげなければいけない。
    場合によっては、タオルを投げることも必要。
     
    その時に、信頼関係が絶対的に必要となる。
    STOPをかけてくれる人がいれば、若い人は安心して無理が出来る。
    そんな組織が僕の理想形だったりする。
     
    大人たちは、
    「無理をさせても、無茶をさせない」ということであろう。
     
    半ば屁理屈的なこの二つの言葉ですが、僕にとって大切な言葉の一つです。
    今の時代こそ、大事な考え方だと思っています。

    その他の記事

    石橋の手帖一覧

    • Facebook
    • Instagram
    • Pinterest
    • Youtube