石橋の手帖

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2023年1月29日(日)

    『コロナとは何であったのか?』

    いよいよ5類に引き下げる事が決まった。
    賛否はあるようだが、僕は肯定的に捉えている。
     
    この3年間にどういった意味を見出すのか?が問われている。
    目に見えない恐怖と経験したことの無いコトへ恐怖を改めて感じる。
     
    コロナ当初からこれまでの間、僕は必要以上に警戒することとして事に当たった。
    社内のルールを厳しく設定し、出来うる万全の体制をスピードを持って敷いた。
    万が一を考え、スタッフを分散したり、毎週抗原検査をしていた頃が懐かしくも思う。
    当初、マスクが世の中から消え、パニックになった。
    縁のある方からマスクを譲ってもらい、全スタッフに配布したこともあった。
    オンライン飲み会なるものを全スタッフとやったりもした。テンで話しにならず、たったの1回で終わった。
    どうせならば楽しもう!との号令を発し、閉塞感の打破を測ったりもした。
    実際に結構楽しんだ。
     
    良いこともたくさんあった。
    業種によるが、家でも仕事が出来ることが分かったし、セミナー等は取捨選択し、オンラインでも十分なモノがある。
    2年前にスタッフから「感謝状(写真)」を貰ったのも本当に嬉しかった。本当は感謝状を僕の方が贈るべきなのに。
     
    また、人と関わり、人の温度を感じる事の尊さを知った。
    緊急事態が開け、会社でスタッフにリアルで会った時の嬉しさは忘れられない。
    握手をしたり、抱き合ったりして喜びたかったが、それも叶わず。。。
    しかし、若い子にとっては本人たちが気づいていない所で弊害生まれている。
    特にコミュニケーションにおいては、コロナ禍が当たり前であり、疑問も無いことと思
    う。
     
    SNS等でのコミュニケーションって、おじさんたちには普通ではないんだよ。
    居酒屋での飲み会って、結構イケてるんだよ。
    想いをぶつけ合うコトって素敵なコトなんだよ。
    顔を合わせて、お互いに気配りしながら働くって心地良いんだよ。
    コロナ禍で、合理化や生産性の向上が急速に進んだ。
    結果、大量のリストラなんて話の多くなっている。
     
    しかし、根っからの昭和的な僕は、コミュニケーションを合理化してはいけない。
    そう強く感じている。
     
    コロナ禍は、人と関わることすら否定され、親の死に目にも立ち会えなかった人も多くいる。
     
    コロナ禍で得たことはさらに活かし、発展させる。
    しかし、逆回転すべきコトは元に戻す。
    過去に帰るということはナンセンス。
    過去を活かしつつ、本当の新しい未来を考えたい。
    コロナで一番大切な事に気づかされた。
     
    いよいよコロナ禍も終盤戦。
    更に新しい生活様式、令和版昭和的生活様式(笑)を若者とおじさん達とで共に考えて見たい。

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