石橋の手帖

2022年8月6日(土)

    『77年目』

    1945年8月6日午前8:15
    一瞬にしてすべてを奪う原爆が投下された。
    この時間に黙とうをすることが、
    毎年のルーティンとなっている。
     
    平和宣言で何を語るのか?は、毎年の僕の関心事。
    毎年、厳しい言葉で訴えかけている。
    中々進まない核撲滅の運動に対しての、
    焦りや憤り、やるせなさ。
     
    今年は、特に重要だった。
    ロシアの侵攻、核兵器を使うことを示唆し、
    脅しをかけている。。。
    僕自信も少なからず狼狽えた一人。
     
    誰もが願う平和。
    戦争なんて誰もしたくなはず。
     
    もはや平和は、口を開けて待っていれば享受できるものではない。
    積極的に働きかけ、努力をしなければいけない。
     
    核兵器が抑止力になる。
    ここ最近の論調。
    しかし、その先には、
    77年前の広島・長崎の姿が待ち受ける。
    誰も願わない未来。
     
    僕は戦争はしたくない。
    僕は戦地に行きたくない。
    僕の知っている人々を誰かに殺されたくない。
    僕自身も、誰かを殺したくない。
    僕の子どもたち、社員の子どもたちを戦地に送りたくない。
    極めて利己的ではある。
    だから僕は平和を維持する努力をしたい。
     
    8月は、そういったコトを考える月。
    当然に毎日こんなことを考えているわけではない。
    それどころでないの毎日が現実。
    だからこそ、こういった節目の日に、
    考える時間を持ちたい。
     
    ここ最近は、少々きな臭い。。。
    つまらないことで笑い合い、
    どうでもいいことで喧嘩して、
    人との暖かさに涙する。
    そんなどこにでもある当たり前の日常が、
    これから先も続きますように。

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