石橋の手帖

2021年11月11日(木)

    『中庸』

    『中庸』
    僕の大切にしている意識。

    常に中庸はどこだ?と考える思考が癖づいている。

    要はど真ん中(本質)はどこなのか?
    偏らない。
    調和を目指す。

    本質を探す。

    今話題の論語と算盤も同様。
    相反する事柄を結び合わせる。
    また、うちの社員に良く話すことがある。
    「自分自身を、過大評価をしてはダメ。過小評価はもっとダメ。
    正しく評価をするべき。」

    これも中庸の考え方であろうと思っている。

    この話を社員にするのは、
    うちの社員は総じて超ポジティブである。
    だから、もっと出来るはずだ、出来たはずだと、過小評価をする傾向にある。

    その思考自体は素晴らしいく、前へ進む原動力になる。

    しかし、一方で達成感を感じることが難しい。
    結構凄いことやっているのに、過小評価が故にである。
    一方で、うちの会社や僕自身は過大評価をされることが多々ある。

    出来てもいないのに、さも素晴らしい!と評価を受ける。

    ここで道を間違える。
    単純が故に、出来ていると錯覚してしまう。
    中庸を意識することで、僕はバランスを取ろうとしている。

    どっちつかずという中途半端なことではなく、核心を得たい。

    と言いながら、まだまだ中庸の本質を理解しているは言い難い。
    だからこそ、中庸とはなんだ?

    と、いつも説いている。

    中庸は徳の中心となる考え方であるという。
    徳も併せて、僕の最大のテーマの一つ。
    徳が何なのか。

    これも僕にとっては難題である。

    何人もの方に「徳とは何ですか?」と禅問答ような質問をぶつけました。
    やっぱり分からない。。。
    徳と中庸。
    いつになったら、この本質が分かるだろうか?
    たぶん永遠に分からないのだろう。
    だからこそ、学び続けるのでしょう。
     

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