石橋の手帖

2021年11月2日(火)

    『23年目』

    1999年11月1日
    私たち夫婦が鷲見製材に入社した日です。
    今日、23年目を迎えました。
     
    当時は、まだ住宅事業部が立ち上がったばかり。
    売上の95%は社寺建築用材の製材によるもの。
    住宅事業部が独り立ちするには、この先数年を要しました。
     
    僕自身は、2×4のハウスメーカーの出身だったため、ダグラスファー、スプルスファーと言った2×4インチの木材しか知らず、
    杉やヒノキなんていう言葉すら知りませんでした。
    始めて行った現場は、その杉と桧をふんだんに使った現場。
    明らかに匂いが違っていました。
     
    経済学部での僕自身は木材はおろか、建築のことも全くの無知。
    何も知りません。
    設計なんかするわけもなく、構造や基礎の作りも知りません。
    ほんの20年と少し前の僕の姿です。
     
    しかし、ハウスメーカーの営業をしていたこともあり、お客さんに会うことはまったく問題なく、
    来る日も来る日も「アポなし訪問」を繰り返していました。
    説明をする用に、営業ツールを作成し始めたのはこの頃です。
    玄関先で端的に伝えるために工夫を重ねていました。
    当時はまだ今のようにインターネットも普及しておらず、図書館に行っては本を借り、それをコピーしたり、貼り付けたり。
    カラーコピーは高価でしたので、基本的には白黒。
    しかも、ワードでの作成。
    この時の経験により、ツールを作ることやプレゼンのスライドを作ることが割と得意です。
     
    しかし、売上が上がるわけではなく、とても肩身の狭い思いでした。
    冬場の郡上は雪が降ります。
    窓の外では、製材のスタッフが雪の中フォークリフトを走らせています。
    それを横目に、僕は室内でぬくぬくと資料作り。
    この時は結構つらかったです。
     
    それでも、製材のスタッフは僕にやさしかった。
    得体のしれない素人の若者が住宅の営業!?
    大丈夫か!?
    そう思っていたに違いない。
     
    それでも、口数は多くはないが色々と教えてくれた。
    現場の職人さんも同じ。
    若く、生意気な僕に丁寧に教えてくれました。
     
    なぜか?
     
    たぶん、不器用で、一生懸命でがむしゃらに勉強していたからだろうと思います。
    この年になると、不器用でも、一生懸命でがむしゃらな若者は応援したくなります。
     
    建築も分からない。
    木材も分からない。
    職人の世界も知らない。
    超ど素人。
    だから、この時は本当に必死でした。
    今思っても、一番必死だった頃な気がします。
    今はどうだ?
    反省です。。。
     
    いずれにしても、たくさんの人に支えられ、教えてもらい、鍛えられた22年間でした。
     
    23年目の今年は、あの時を思い出し、もっと必死になって見よう。
    まだまだ足りません。
    まだまだやるべきことがあります。
     
    50歳も見えてきたこの頃ですが、まだまだ青春真っ盛り。
    もうひと踏ん張りと行きましょう。

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