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  • 鷲見製材80年の歩み・ひだまりほーむへ

鷲見製材は、岐阜に拠点を移してもふるさと 郡上の森を守り続けます。

ひだまりほーむという名前で住宅事業を始めたのは平成11年(1999年)。
まだまだ若い事業部です。しかし、鷲見製材の歴史は80年を超えます。
鷲見製材は、その時代に必要とされる製品を地域の木でつくり、
地域に活力をもたらしてきました。取り扱うものが時代と共にかわってゆき、
住宅を扱う「ひだまりほーむ」になっても、郡上の森を大切に想う心はずっと変わりません。

History3. ひだまりほーむへ

住宅事業部(現・ひだまりほーむ)設立

志を同じくする地域の建設業者の仲間が集まってスタートした木材加工事業だったが、残念ながら、順調には進みませんでした。

白鳥の建設業者は、どこも決して大きな会社ではありません。いまの時代、効率を追求しなければ経営は立ち行かなくなります。各社とも、地域を想う気持ちとは裏腹に、自社にとって便利なプレカット工場をそれぞれが持つようになりました。

そんな中の平成10年(1998年)、鷲見製材は住宅事業部を立ち上げました。隆夫は地域を守るには自ら動くしかないと決断したからです。

当時の写真
当時の鷲見製材です

平成10年(1998年)、鷲見製材は住宅事業部を立ち上げました。隆夫氏は地域を守るには自ら動くしかないと決断したからです。

隆夫は考えました。地域の木を良質な建築用材として売ろうとしても、その売り先となる住宅会社を見つけるのが簡単ではない。良い材を良い住宅にしてエンドユーザーに届ける住宅会社があれば、地域の森を活かせるのではないか。「木を使い、森を蘇らせるために必要なのは住宅会社だ」隆夫は、そう答えを出しました。

それは、老舗の材木屋が新たな一歩を踏み出した瞬間でした。創業から70年。「地域の木を活かしたい」という強い想いが、鷲見製材の新しい扉を開けました。

顔の見える家づくり、国産材100%の家

鷲見製材の役割は、地域の木を活かし、森を守ることである。永い年月をかけて木を育て、最適な用途に加工して木の特性を生かした家を建てる、そのすべての過程に携わる人の想いと技術をエンドユーザーにつなぎたい。鷲見製材の住宅事業部は、「顔の見える家づくり」と「国産材100%の家」を掲げました。しかし、住宅事業は簡単ではありませんでした。現社長の四代目・石橋常行が鷲見製材に入社したのは、この頃のことです。

最初の4年ほどは、年に数棟しか受注がなかったのです。「それでいい」と思っていました。けれども、本当に地域の木を活かすためには、できるだけたくさんの人に鷲見製材の考え方を知ってもらわなければならない。そう気づいたとき、隆夫は「住宅事業に力を入れなければならない」と決断しました。

平成11年(1999年)、鷲見製材住宅事業部は自らに”ひだまりほーむ”という名を付けました。木のやわらかな優しさを伝えるこの名前は、当時の社員皆で話し合って選んだ名前です。お客様に、鷲見製材がつくる木の家のあたたかなイメージを伝えたかったからです。

平成13年(2001年)、エアパスソーラー住宅協会(現・エアパスグループ)に加盟しました。「日本の木を生かし、地域の職人の技を生かす”地域循環型”の家づくり。」という、エアパスの理念に共感したからです。なぜならそれは、まさに鷲見製材の使命そのものだったからです。

平成15年、住宅事業部の拠点を岐阜市内に移した頃から、ひだまりほーむの躍進が始まりました。当時はまだ「日本の木の家」はめずらしく、建物の完成見学会をすれば、対応しきれないほどのお客様が集まるようになりました。今では、岐阜で木の家を建てようと思った人なら誰もが一度はひだまりほーむを訪れるほど、その名を知られるようになりました。

平成17年、初めての住宅展示場(現・風の棟)をOPENさせました。隆夫は、もっともっと多くの人々に木の良さや森を守ることを肌で感じてもら必要性を感じていました。この住宅展示場のOPENがひだまりほーむの新しい時代への入り口でした。その後、受注棟数が増え、社員が増え、ひだまりほーむは成長して行きます。

三代の想いを引き継ぎ更なる発展へ

平成22年、本社を創業の地である郡上から岐阜市東鶉へ移すと同時に四代目社長・石橋常行が誕生します。住宅事業に一本化し、岐阜の地に根差した地域工務店として新しい一歩を踏み出しました。石橋は、三代続いた想いをしっかりと受け継ぎ、更なる発展をすることが、この地においての恩返しであると心に誓いました。

鷲見製材は、時代の流れに合わせてその姿を変えながら、90年近くの歴史を刻んできました。いま、鷲見製材の中心は、ひだまりほーむと言う名の住宅事業です。ひだまりほーむになっても、郡上の森を大切に想う心はずっと変わりません。